高校神奈川NO533 2006.10.14
ひとり1回の行動で、秋季闘争を盛りあげよう!

−秋闘について園部書記長に聞く−

 民間では春に春闘がたたかわれ、賃金や労働条件が具体的に決定されていきますが、私たち公務員の場合は人事院・人事委員会勧告をへて秋の賃金確定闘争で決定されます。そして、この賃金闘争を軸に様々な課題を複合して秋の時期に運動を設定することを秋闘(秋季年末闘争の省略形)と呼んでいます。


今期、賃金確定・教育基本法改悪反対・職場民主化、そして事務・現業のセンター化が焦点
−今秋闘の課題は何でしょう
「まず賃金確定闘争、そして教育基本法改悪反対闘争、そして新しい学校運営組織の下での職場民主化のとりくみ、これが柱になると思います。そして情勢次第では事務・現業業務のセンター化問題などが課題となります。」

−教育基本法改悪反対のとりくみは。
「国会の情勢にもよりますが、安倍首相は首相直属の教育改革推進会議の設置を明言し、教員免許法やバウチャー制、学校評価などを導入したいとしていることから、まさに戦後民主教育の抜本的転換を企図しているは明らかです。ここは何としても踏ん張ることが重要ですし、そのためにも神奈川の地で、職場で運動を作ることが求められています。10月上旬、11月中下旬に全県駅頭宣伝行動、10月29日には全県集会11月25日には全国集会を設定し、これを軸にしながら運動をすすめたいと考えています。」

−賃金確定闘争の課題は何ですか。
「最大の課題は、査定昇給と一時金の格差支給に対してどのようにとりくむか、です。査定昇給については国家公務員一般職に対する導入の方法が示され、一時金についてはすでに管理職に導入されていることからも今期当局からの提起は必至といえます。県労連としては現行の人事評価システムが納得のいくものになっているのか等の検証をすすめていますが、このような検証を含めて今期の確定での導入阻止に向けて全力をあげたいと思います。また、人確法によって措置されてきた教員の給与の「優遇」分の縮減をどうくいとめるか、地域手当の増率、昨年給料表の一本化で誕生した教育職給料表の改善、両立支援のための具体的施策の拡充も大きな課題です。

−「新たな学校運営組織」の下での民主化課題については
「本部では、この間導入後の実態把握をすすめてきましたが、これらを踏まえ、導入時の民主化方針を補強した上で、各学校の実態にあわせた民主化目標の設定とそれに対するとりくみが必要になります。職場民主化のとりくみは、古い言葉で恐縮ですが「職場闘争」が主体になります。本部と分会との連携と、分会相互の情報交換・協力態勢を確立しながら運動をすすめたいと考えています。」

−事務・現業のセンター化問題は
「当局から明確な提案がないままで推移していますが、10月7日の中央委員会で神高教の方針として「定員削減、業務の民間委託につながる可能性のある事務・現業センター化に反対」の方針を確認しました。今後神高教全体の運動として「職場決議」「校長上申」「署名」などの運動を、今秋闘の課題としてすすめていきたいとかんがえています」

生徒や保護者の願いを受けて
−秋闘をすすめるにあたって組織の拡大・強化も重要ですね
「その点はきわめて重要です。確かにたたかってもなかなか成果の見えにくい時代です。しかし、私たちの主張が、教職員や県職員ばかりでなく生徒や保護者の願いに合致しているならば組合員ばかりでなく未加入者からも共感を受けるはずです。それを組織の拡大や強化に結びつけることも可能です。そういった自覚と自信を持ち、私たちが運動している姿を具体的に示していくこと、そのことを今秋闘の課題としたいと思います。」

具体的には何をするのか
−日程や戦術はどのようになりますか
「例年のことですが、県労連の確定闘争を日程上の軸にして、4次の神高教統一職場集会を設定したいと考えています。この統一職場集会に教基法、職場民主化などの課題を結びつけながら運動を前進させていきたいと考えています。」

−統一職場集会の目的は何でしょう
「ひとつは、何と言っても団結を示すことです。多忙化などの中で、職場を離れて集会やデモという形で団結を示すことがやりにくくなっていますが、職場単位で集会を持ち、はがき行動や署名、決議文の採択などにきっちりと取り組むことは、運動の前進に大きな役割を果たします。」

分会総会も分割開催してみたら
−多忙化などの中で分会総会や職場集会もなかなか開けない、という職場もあるようですが
「そうですね、多忙化の問題は別途解決の方向を示すとして、当面各分会では職場集会の設定を是非工夫してみてもらえないかと思います。もちろん分会員が全員そろうことができればそれが一番好ましいのですが、それが難しい場合には時間をかえて複数回開くのも手ではないかと思います。この統一職場集会の意義には、職場を超えた組合員同士の連帯感の確認もあります。同じ日にどこの職場でも時間の差はあれ組合員が同じ行動をとっている、そのことが組織の強化に大きな意味を持つのではないでしょうか。」

−分会役員としてどのような点に留意したらよいでしょう
「ひとつは情報のすみやかな提供だと思います。闘争態勢に入る10月上旬以降は「リアルタイムの情報を」ということで、本部ではFAX速報を随時各分会に流します。各分会では組合員に増刷配布をお願いします。次に署名やはがき行動、職場決議などの取り組みです。この時期はこれらの行動は闘争日程の関係でどうしても時間的に余裕のない設定となってしまって、役員のみなさんにご迷惑をかけるのですか、先ほども言いましたようにこれが運動前進の大きな武器となる訳ですから、是非積極的なとりくみをお願いします。また、職場民主化のとりくみでは、方針を踏まえながら、職場の問題点を洗い出しと意思統一の作業をていねいにお願いしたいと思います。」

教育や生活を守る姿を示そう!
−「ひとり1回の行動参加を」を提起していますが
「ええ、今秋闘のきびしい情勢を反映して、職場外での集会やビラ配布の行動などをお願いしています。分会役員だけでなく是非ひとり1回の行動参加で運動を盛り上げていただきたいと思います。せっかくの休日を拠出してもらったり、年休を取ってもらったりで心苦しいのですが、逆に私たち組合員がそうした犠牲も払いながら、教育や教職員の生活を守ろうとしている姿を組合員でない人たちにも見せながら組織の拡大に結びつけていければ、と考えています。」
−なるほど、秋闘を盛り上げるため頑張っていきたいと思います。


被爆61周年原水禁世界大会

被爆61周年原水爆禁止世界大会が8月4日〜6日広島、8月7日〜9日長崎で行われました。神高教からは親子参加、高校生平和大使を含め、広島5人に、長崎8人参加しました。


【広島原水禁61親子代表団報告】 世界に平和宣言を続ける使命を感じて

 「広島へ行かなくては!」と、何か教師としての義務のように思っていたところがあった。この夏初めて、広島への旅を原水禁61親子代表団に母子2人の参加として実現できた。やはり広島に行って生きる原点を考えさせられる旅となった。
 8月4日広島に到着後、原爆資料館を見学した。「ピカ・ドン」の映像に導かれて見学スタート。広島に投下された通称リトル・ボーイの模型と解説の所で釘付けになった。3メートル4トンの原爆は乗用車よりコンパクトな感じだ。こんな小さいもので広島の14万人の命を奪い破壊し尽くした不条理へのため息であった。被災者のジオラマを目にする。皮膚が溶ける、顔が腫れる、水を求める地獄絵の再現だった。痛ましさに体が縮み身震いする。
 8月5日は終日こどもの広場に参加した。朝8時、こども慰霊祭からスタートした。全国から参加したこどもたちの黙祷・献詞・献花。広島の小学校の先生に案内されて平和公園内の碑を追悼巡りして、原爆ドーム前ダイ・イン、被爆電車の中で被爆体験を聞き、平和イベントに参加、灯籠作りでしめくくった。韓国人慰霊碑では、当時の広島在住韓国人約6万人の半数以上が被爆したことを知った。強制連行され異国の地で被災し、無念の人生を悔やんだことだろう。案内の先生の父君も被爆者だった。被災地で「大勢の苦しむ日本人は助けたが、朝鮮人は放っておいた。」と優しい父君が誇らしげに娘に話したそうだ。こんな差別がごくあたりまえに戦争中日本中に普通にあったことも戦争の恐ろしい一面であろう。日本の広島が世界に原水禁宣言を発信する以上、日本人が隣国のアジア諸国に侵した罪も償わねばならぬという意識を持たねばならぬと実感した。
 現在広島に4両残っている被爆電車に乗り、61年前全く同じ車両に乗って降車後に被爆した森本範雄さんの話に感銘した。爆心地にいながら森本さんにとっての幸運が幾重にも重なり、生命の奇跡を受け止め、現在も真摯に豊かな人生を過ごしておられる。目の前の友人の即死・黒い雨の雨宿り、自分の体の蛆を払いながらも生きのびた被災直後の体験談から、「人は戦争をしてはならぬ」というメッセージを、戦争を知らぬ私たちの世代に熱く語りかけてくれた。
 8月6日暑い朝、広島市民とともに広島平和式典に参加した。
 「にんげんの にんげんのよにあるかぎり くずれぬへいわ」を守るため、広島・長崎から世界に平和宣言を続ける使命を感じ、広島原水禁61親子代表団参加の旅を終えた。元安川から船に乗り、もう一つの広島世界遺産宮島に寄って帰途についた。(保土ヶ谷分会)


【被爆61周年原水禁長崎大会】 
○被爆者と首相の、覆うべくもない落差


 小学校5年生の娘とともに、神奈川県代表団の一員として原水禁長崎大会に参加した。
 8月7日。県立総合体育館で行なわれた「核兵器廃絶2006平和ナガサキ大会」に参加。被爆者(広瀬方人さん)の訴えや、昨年度・今年度の高校生平和大使たちの報告、決意などが印象に残ったが、中でも圧巻だったのは、構成詩「親子で綴る平和の願いX」だ。「ふたたび被爆者をつくってはならない」という熱いメッセージが肌に突き刺さってきた。
 同日夜、県代表団夕食交流会が開かれ、参加者の方々と和やかなひとときを過ごした。特に、娘の面倒を見てくださった神奈川代表の高校生大使・同行者の方々(小檜山さん、新井さん、石井さん、池田さん)ありがとうございました。
 8月8日。午前中に娘と子ども向けプロジェクト4ピース・ブリッジ2006inナガサキ」に参加。長崎の中・高校生や大学生、高校生平和大使、ドイツ・フィリピン・韓国から参加した高校生たちと交流し、被爆者(羽田麗子さん)の証言をお聞きした。
 その後、小学生・親子グループは原爆資料館を見学し、爆心地公園でミニ集会を開いた。公園の入り口に、平和ブロック「核廃絶の壁」が展示されていた。これでもかとばかりに照りつける夏の日射しを浴びながら静かに説明に耳を傾けてした子どもたちの姿が印象に残っている。
 8月9日。みどり墓地(被爆前の浦上地区にあった被差別部落の方々の墓地)に墓参した後、「まとめ集会」に参加。集会後、爆心地公園まで約1.2qの道のりを「平和行進」した。61年前のあの日も暑かったのだと思いながら歩いた。差し入れのアイスキャンデーがありがたかった。
 原爆投下時間に黙とう、解散。その後「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加した。3年前に被爆2世の次男を亡くされた被爆者代表中村キクヨさんの言葉が忘れられない。医師から「(息子さんの)白血病は、母体からもらったものです」と言われたとのこと。続いて挨拶に立った小泉首相の言葉との落差は覆うべくもない。
 本当に暑かった長崎での3日間。娘の心には何が残ったのだろうか。(深沢分会)


○暑い長崎での熱い感動

「長崎なら、終わったあとに吉野ヶ里遺跡に行けそうだから一緒に行ってもいい」という、結婚して30年の間、組合などないパートの仕事しかした事のない妻と、一緒に参加する初めての原水禁大会でした。夏の長崎があんなに暑いとは知りませんでした。連日テレビの天気予報が伝える最高気温は36°〜37°。ということは街中のアスファルトの上は多分40°を超えているだろうと思います。
 一番印象に残ったのは、一緒に参加した「高校生平和大使」の新井さんや池田さんたちでした。私自身は「高校生平和大使」というものがどういう経緯でいつできたものなのか良く知らなかったのですが、長崎の核兵器廃絶運動の中から高校生たちが独自に始めた署名運動に、神奈川も参加したものだという事を知ることができました。彼女たちは長崎でもあの炎天下で、署名集めに頑張っていました。それと二日目に参加した「見て、聞いて、学ぼうナガサキ」という分科会で聞いた山川剛さんの話!物静かな語り口の中に、しかし非常に強い核廃絶に対する想いと、あの悲惨な体験をしてきた人とは思えない楽天的なまでの、「未来への希望」についての語り口!会場の外で山川さんの本をつい買ってしまいました。
 最後に組合主催の「平和行進」などどいうものに初めて参加した妻の感想!川崎市職労には家族会という組織があって、今回も十数人の女性が参加していました。最初は知らない人ばかりの中に入っていくことに強い不安を持っていた妻も、優しく接していただき、とても感動していました。神高教もぜひ家族参加を認めていただけたらと思います。(二宮分会)


○平和を守るためにも、教育基本法の改悪反対を

初日(8/7)は長崎県立総合体育館メインアリーナでの「核廃絶2006平和ナガサキ大会」であった。ピースコンサートHARUから始まり,挨拶が続いた。長崎市長が9日の会場準備作業から駆けつけ、ノーネクタイの涼しげな姿での挨拶は爽やかであった。被爆者の訴えとして、元教育の方から体験談が語られた。今までにも何度か体験談を聞いていたが、やはり直接本人から聞くと、その悲惨さなど、生々しく感じるものがあった。高校生平和大使の報告・決意表明が行なわれた。神奈川からは4人の参加であった。東京では高校生1万人署名をするのも、条例等の関係で大変きびしいとの話には驚いた。続いて構成檄「親子で綴る平和の願いX」が催された。今年で5回目とのことであるが、大人と子どもが集団で演じ歌うその響きには迫力があった。オープニングのコンサートにしても、歌の迫力を改めて感じさせられた。
 2日目は第2分科会「平和と核軍縮−東北アジアの非核化と安全保障」に参加した。脱軍縮ネットワークの田巻一彦さんは「米核戦略への従属を深める日本、脱却の道はないのか?」と題して詳細な資料による解説であった。長崎大学教授の船越耿一さんは、今の大学生に社会問題意識を持ってもらうことの大変さや留学生との交流のこと等、ユーモア交えてのお話であった。さらに国民保護法をめぐって、これが米軍再編と表裏の関係にあり、国民保護計画は日本が核攻撃されることを想定している重要な問題であるとのことであった。会場からも質問や意見が数多く出され、最後の方で教員からの、憲法を変える前に教育基本法を変える動きがある、これに反対していかなければとの発言に、拍手が沸いた。
 午後はピースクルーズに参加した。快晴で、波が珍しく静かだということで、端島(軍艦島)の近くまで寄り、ゆっくりと周回できた。船上の解説も島々のことや戦前の植民地の人々のこと、戦後のエネルギー革命との関係、現在の造船所、グラバーさんのことなど、多岐にわたったが、わかりやすかった。
 3日目の朝、被差別部落の被爆者の墓参りに行き、当時の状況やその後の行政の対応や運動の話をうかがった。再びメインアリーナから原爆犠牲者慰霊平和祈念式典会場まで行進した。公園には元長崎市長の本島さんも来て、元気な姿で平和を訴えていた。
 猛暑の3日間であった。参加者は高齢者が目立ったが、若い人も少しずつ増えているようである。今後もこうした活動を長く続けていく努力が大切であると思われた。(釜利谷分会)

−高校生平和大使報告−
歴史を正面から受けとめて
 −平和への強い想いを伝えたい−

 先月8月15日にスイスのジュネーブへ向けて日本を発ち、16日にYWCA、Uni、日本大使館、17日に国連欧州本部、18日にポーランドのクラクフへ移動しアウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所を見学、20日にオランダのアムステルダムへ移動し、アンネフランクの家、ユダヤ人歴史博物館、ゴッホ美術館を見学しました。
 国連では現在軍縮担当事務次長をされているティム・コーリー大使に高校生平和大使5人から平和と核兵器廃絶を求めるスピーチを英語でさせていただきました。私はスピーチの中で、今の世界状況に対して国連に、迅速かつ、非暴力的に解決していって欲しいということと、私達若者も国連と一緒に活動していきたいという事を伝えました。コーリー大使は全員のスピーチを真剣に聞いて下さり、また後のお話では、20年までには核兵器廃絶を国連でも目標にしていること、そして被爆の思いを伝えていくことは大変大切なことであるからぜひこの活動などを続けていって欲しいという激励のお言葉を頂きました。民間団体の微力な行動でも継続することで大きな力にも変わっていくのだと感じました。
 そして翌日のアウシュビッツ強制収容所では展示室となっている収容所内にいてもそこで行われてきた残虐行為、人間が人間ではないような事をしている恐ろしい情景を感でじました。どうしてそんな事が平気で行えるような環境になってしまっていたのか、どういう気持ちでナチス軍はこのような行為をしたのか、また日本も同じく卑劣で非人間的なことをしてきた過去があり、それらの歴史から目をそらさず勉強して知識を深め、正面から向き合い受けとめていかなければならないと学びました。
 また20日に見学したアンネフランクの家では私と同じくらいの年の子が2年間ほど苦しみながらも一生懸命に生きた様子を全身で感じる事ができ、またなぜユダヤ人が迫害をうけるようになったのかに対して大変興味を持つきっかけにもなりました。
 この旅を通して学び感じたことを伝えていくのが私達の役目であるし、報告会や署名活動のなどを含める平和活動をここ神奈川でももっと展開していきたいです。そしてコーリー大使の話をお聞きした後、私はこれからもこういった活動を続ける上で日本からだけでなく、世界中でもやっていけたらさらに大きな影響力となっていくのではないかと考えました。世界にも少なからず、なんらかの事故などで被爆された方がいてそんな人たちと一緒に手を取り合いながら強い想いを訴えていくことが出来たら素晴らしいと思うし、それを実現していけるようにしていきたいです。またこの旅で出会い貴重な経験と時間を共有した仲間達と、いくら離れていても活動などを通してこれからもずっと繋がり合いを持っていきたいです。そしてこんなに素晴らしい経験をさせて頂いた全ての人々への感謝の気持ちを忘れずに一歩ずつ進んでいきたいです。
(横浜商業高校 新井舞子)
 
外国人の子どもたちへの教育実践を交流
          
全外教神奈川大会に800人をこえる参加者

「多文化共生社会に向けて、学校や地域での教育実践を交流しよう」をテーマに、第27回全国在日外国人教育研究集会神奈川大会が8月19日から3日間にわたって、川崎市をメイン会場に開催されました。神奈川での研究集会の開催は、1988年、1998年に続いての3回目で、集会には北海道から沖縄まで800名をこえる参加者があり、学校現場・地域活動を基盤とする在日外国人教育にかかわる活発な議論が展開されました。
 大会1日目は、ヨコハマハギハッキョ見学コース・川崎コースの2つに分かれてのフィールドワークが行われました。そのうちのヨコハマハギハッキョは、在日コリアンの子どもたちの出会いの場づくりとして、1992年にはじまりました。15回目の今回は、神奈川大会に合わせて、横浜市立潮田小学校で開催されました。午前は各教室に別れての部会(料理、図工、踊り、サッカー、チャンゴ、歴史、ユース)が、午後は体育館でハギハッキョの15年を振り返る全体会が行われました。インタヴューに答える子どもたちの生き生きとした姿が強く印象に残りました。
 2日目はエポックなかはらで全体会が行われました。開会行事に続く生徒交流会報告では、19日からの2日間にわたる交流の成果が発表され、外国人の子どもたちがつながっていくことで、お互いが力をつけていくことが再確認されました。その後の地元報告では、県立高校出身の2人の外国人青年の司会のもと、外国人が日本に暮らす歴史的背景、外国人の子どもたちが抱える問題などが、インタヴュー、トーク、映像、ダンスといった多様な表現方法で発表されました。外国人が日本に暮らす歴史を知ること、その思いに学ぶことの大切さを改めて感じさせられました。
 最終日は、法政大学第二高校で分科会が行われました。分科会には28本のレポートが提出され、教材づくり、学習支援、名前、進路、排外意識克服、多文化共生などをテーマに話し合いが進められました。
 今回の神奈川大会は、県内、そして関東における在日外国人教育・多文化共生教育のネットワーク拡大を最大の目標にして取り組みが進められてきましたが、一定の成果をあげることができたのではないかと思います。2005年末現在で、日本の外国人登録者数は200万人を超えました。外国人、そして日本人の子どもたちへの豊かな未来を保障していくためにも、教育行政も含めたさらなる取り組みの前進が求められます。(港北分会)


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