高総検レポート No 76

2005年9月15日発行

あらためて〈民主的職場づくり〉のとりくみを!

〜 現場で「グループリーダー制」導入にどう対応するか 〜

 ■「グループリーダー制」の導入■
 

06年度から県教委が学校現場に導入するとしている「グループリーダー制」が職場の課題になっている。早くも分掌組織の見直しについて検討するように管理職から指示が出された学校もあると聞く。職場の業務の随所にこの動きに関連することが見いだされる。
 神高教「職場討議用資料」(04-25/No.8県教委の提起と神高教の考える学校運営組織のあり方)は、県教委が構想する具体的な「学校運営組織のイメージ」を伝えている。管理職(校長・教頭・事務長)の下に「企画会議」を位置づけ、これを構成するのが6人の「グループリーダー」と管理職となる。それに伴って分掌組織も改編される。職員会議の位置づけもさらに機能を制限されたものとなり、単なる業務内容の伝達・確認の場に格下げになるかも知れない。「グループリーダー制」の導入が学校現場に主任制以上の大きな影響をもたらすことは確実だ。県教委の狙いどおりに事が進めば、学校運営のシステムは「上意下達」に生まれ変わる。

  ■先行する東京都では■

「主幹制」がすでに2003年度から導入されている東京都の状況はどうか。都教委は、主幹を、教務・生活指導・進路指導の各主任と兼務させ、各校1名ずつ配置するという形でスタートさせた。2004年度以降、段階的に配置を進め、7年間で完成させる予定である。
 東京都では制度の導入にともなってすでに様々な問題が発生している。
 主幹人事がその一つだ。一般教員の人事と別枠でしかも年度末ぎりぎりに異動がおこなれるため、受入れる側の現場は負担が大きくなる。主幹の授業軽減は2〜4単位で非常勤対応となるが、非常勤講師を急遽手当てしたり、時間割を再編成したりと現場における年度始めの調整作業が確実に増えている。また、他校から職場の現状を知らない主幹を迎え入れ、責任あるポストに据えなければいけないという事態が毎年繰り返されることとなる。年度始めのただでさえ忙しい時期の負担過重は想像以上のものがあるだろう。今後数年はそれが続くこととなる。さらに、主幹のポストは上からの指示に従って割り当てられるから、当人の実際のキャリアと関係はない。割り当てられたポストに「即戦力」とは言いがたい場合は、作業能率が著しく低下するだろう。 こうした問題は、一過性のものとして片づけることのできるものではない。

 ■神奈川の「グループリーダー制」の場合は■

新しい制度の導入に伴って職場内の人間関係はどのような影響を受けるだろうか。 東京都の主幹の任用方法は、「登用試験」という形をとっている。職場内で「主幹を目指す人」の存在はある意味でオープンになっており、「分かりやすい」といえる。したがって主幹制の導入によってことさら職場の人間関係に不協和音が生じることはないという。いわば一般教員との間に平和的な「棲み分け」が成立しているわけだ。これはもちろん現場のとりくみの結果して生じていることではある。
 神奈川県では、本レポート記載現在の05年8月末、任用方法について文書化された提示はないが、従来の管理職登用の方法と同様「校長推薦」を任用条件の一つとすることが確実だ。ここが東京都と違う。
 一部の校長の能力・資質に大きな「?」を付けざるをえない現状があり、その校長が今度は「グループリーダーの推薦」をおこなうこととなる。「グループリーダー」の配置は各職場に6名だから従来の管理職(校長・教頭・事務長)の人数の倍である。その「グループリーダー」がどのような傾向によって構成されるかということは神奈川県の教育にとって見過ごすことの出来ない問題となる。
 校長が「自分にとって都合のいい人」を管理職に選んでしまうということは従来からあったことだが、「グループリーダー」についても「自分の言うことをよく聞いて使いやすい人」という基準が先行することはないだろうか?この傾向が生じるとすれば、「神奈川の教育のためになる人」という全体状況からの判断、「生徒のためになる人」という教育課題への対応からの判断はどこかに置き忘れられることになる。
 「グループリーダー」の任用方法に関して危惧される。


■主幹制導入のねらいとは■

そもそも県教委が「グループリーダー制」のような制度を導入するねらいはどこにあるのか。都教委が制度導入を積極的に広報している主幹と対比してみてみよう。
 まず、神奈川県の「グループリーダー」は、校長や教頭と決定的に異なり「管理職ではない」とされている。この性格は、「グループリーダー」導入の理由付けが「教育課題の解決」にあるためだが、ここにまず注目しておこう。
 「都立学校評価システム確立検討委員会」での審議の様子を掲載したHPには、「今この時期に、学校組織に主幹という新たな職が必要なのか?」という質問に対して以下の回答がなされている。

「学校には,いじめ,不登校,暴力行為をはじめ、最近では携帯電話普及に伴う問題行動など、様々な課題が山積している。保護者や地域は、こうした教育課題の解決に向けて、学校が積極的に取り組むことを期待している。
 しかし、現在の学校は、このような課題に対して組織的に対応できる体制が十分整っているとは言えない。少なからず校長のリーダーシップや教職員個々の能力に期待している面が見られる現状である。このため、学校に監督権限をもつ主幹を設置し、組織として機能させることにより、学校全体の教育力を高めていく。」
(「都立学校評価システム確立検討委員会 一次報告」2003年11月)

 表向きの理由は「教育課題への対応」だが、学校の対応力を強めるために「組織力」の強化が目指され、命令系統の整備と責任の明確化のため「主幹」を軸にしたピラミッド型組織が導入される、という論理展開となる。

「中間組織目標(主幹を中心に作成する校内の各分掌組織の目標)の導入により、教職員の自己申告による目標管理と学校経営計画によるトップ・マネジメントを統合し、新しい都立学校の組織的経営体制を描いた」(同上)

 これは明らかに1970年代の主任制導入の学校における管理強化を狙った施策と同じである。校長の「学校運営」を補佐するための制度であり、中間管理職の創設である。
 これに対して神奈川県教委が「現行の主任制度は教育の今日的課題に対応できず根本的に見直す」として導入を図る「グループリーダー」の職務内容をみると、こうなっている。
a.校長および教頭が行う学校運営の補佐
b.グループが分担する校務の統括
c.教職員の職務遂行上の能力の育成       

 
「グループリーダー」導入のねらいは、学校を「ピラミッド型の組織にすることによってきめ細かい学校運営ができる」(「都立学校評価システム確立検討委員会 一次報告」)ということに尽きるのではないか。しかし、現代の深刻な教育課題は従来の「横並び」の学校運営組織では対応できないからピラミッド型の組織に変えていくという、県教委の発想は正しいといえるか?


■ピラミッド型組織の弊害■


ピラミッド型の組織の特徴は上下の命令系統を明確化し、構成員の一人一人の職務を細分化することにある。ピラミッドの上位に位置するメンバーはスタッフ(管理層)に位置づけられ、下位グループのメンバーはライン(作業層)に位置づけられる。スタッフとラインの両者は明確に分離される。神奈川県の場合では、スタッフは「企画会議」の構成メンバーと考えれば分かりやすい。
 教職員の職務への欲求は、自己実現や達成といった高次の欲求と結びついており、給与に反映されないとしても、他人から認められたいという潜在的な欲求に結びついている。それに、命令されたことだけやっていればよいという形の組織原理が適用されると、ライン層に「思考停止」を進める結果となる。すなわち、自ら組織を担っているという意識が薄れ、「命令されたことだけを忠実に遂行する」(=命令以外のことはやる必要がない)という行動原理の習慣化を促す。

■「組織人」が引き起こす不祥事■

「組織の論理が幅を利かすようになると、市場の要求や社会の常識が活動に反映されなかったり、組織や管理者によってそれが歪曲されて解釈・伝達されたりするようなことがしばしば起きる。そして、それが組織を衰退させ、あるいは危機に陥れることがある。その象徴的な出来事として、食品会社における牛肉買い取り制度悪用事件、電力会社によるトラブル隠し、自動車メーカーのリコール隠し、それに外務省や警察などでの不祥事があげられる。これらの事件や不祥事に特徴的なのは、組織の原理に忠実な、ある意味で『模範的』な組織人が深く関わっていることであり、それだけ問題の根が深いといえる。組織内での基準と社会的な基準の落差が、極端に広がってしまったのである。」
(太田肇『選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命』中公新書より)

 組織が社会的な常識から大きくずれてしまったことによって重大事件を発生させる不幸な例を、私たちはつい最近JR西日本脱線事故に見たばかりである。
 また、こんな例もある。

「細部における責任の完遂はときに全体における未曾有の犯罪に通じている。A・アイヒマンが思い出される。アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に移送する任務を周到に遂行し、数百万の殺害に加担した。かれはエルサレムの法廷でこう答えている。ユダヤ人絶滅が史上最大の犯罪の一つであることは認めるが、自分は自分の職責に忠誠を尽くしたのみで、心の底では責任を感じていない、と。このことばについては多様な解釈がありうるが、ここでは、アイヒマンには他者がなかったといっておく。いいかえれば、自分がそのなかに埋没している組織しかなかった。だれに責任を問われ、だれのまえで責任を引き受けるか。こう問われたら、かれには組織のことしか思い浮かばなかったろう。他者の不在は自己の衰弱を意味する。」
(品川哲彦「組織と責任」『社会哲学を学ぶ人のために』〔加茂直樹編〕世界思想社より)

「服従についての研究は多いが、なんといっても社会心理学でよく知られているのはアメリカの社会心理学者ミルグラムによる服従の研究である。これは、第二次世界大戦中のドイツ人によるユダヤ人の大量殺戮を概念モデルとして行われた実験である。この大量殺戮事例では、中央からのあのような殺戮命令が出されたことも驚きだったが、その殺戮命令が多くの将校や兵によって、事務的ともいえる実直さで遵守されたことも大きな驚きだった。そのプロセスを概念的に再現したのがミルグラムの実験なのである。・・・
 (「監督」の命令に従って「生徒」に電気ショックを与える)実験の結果、ミルグラムを含む多くの人の事前の予想に反して、大多数の人が最後の450 ボルトまで電気ショックを与えた。40人中の26人、なんと65%の被験者が最後まで服従を続けており、285 ボルト以下で拒否した人は一人もいない。・・・
 この実験の被験者が良心を失ったわけではない。その証拠に、彼らはさまざまな強いストレスの兆候を示しながら、生徒役の痛みへの思いと、監督役からの指令のはざまで苦しんだのである。
 けれども服従は起こった。」
(岡本浩一『無責任の構造』PHP選書より)

■教育の仕事にふさわしい組織とは■

現在私たち神奈川の教育現場で進行中の「教育改革」は、多くの場合、利潤追求を第一義とする「経営的手法」を単純に当てはめていくというやり方をとっている。しかし、その経営的方法が本当に教育現場にふさわしいものかどうかの厳密な吟味はなされないままである。「グループリーダー制」も基本的には民間企業の組織原理を教育現場に当てはめる意図での導入が図られている。
 私たちは各学校現場において営々として働きやすい職場環境づくりに励んできた。それは、一人一人の教職員が同等の資格の下に責任をもって学校運営に関わりながら、目の前の子どもに直接向き合う教育実践を可能にするものであったはずである。「グループリーダー制」の導入に対してもこうした従来の民主的な職場環境を維持していくたたかいをつくりあげていくことが、今極めて重要になっている。
 県教委は人事評価制度を活用して、SやAのたくさんついた教員を「エリート層」に、それ以外を「非エリート層」に選別し、「エリート層」のみで「企画会議」を構成することを企図するだろう。「グループリーダー制」の導入が教職員を「エリート層」と「非エリート層」に差別化するものであってはならない。
 民間企業の組織原理においては、構成員は「スタッフ」(エリート)と「ライン」(非エリート)に厳密に区別されるのが通常であり、東京都の主幹制ではこの方向が目指されている。「校長の学校運営方針がこれまで以上に教員に浸透し、教員の意見や情報が、主幹を通じて教頭・校長に整理され伝達される」をその導入のねらいとしている。
 しかし、奇妙なことに、現代の経営学の世界では、教育界で進んでいる「改革」とは全く逆の動きが新しい経営手法として注目されるようになっている。このことについても私たちは今後の学校現場の動向を考えていく上で参考にすべきだろう。すなわち、経営学では、「組織の効率性」を追求する観点よりも「組織のメンバーである個人が直接環境の要求に応えていく方法」が重視されるようになってきているのである。企業を取りまく環境がますます複雑で不安定になってきており、環境からの要求を組織全体で集約してから受け止めるよりも、現場の個々人が自ら判断して対応した方が効率的なことが多いというのがその理由である。

「人間を仕事に動機づける一つの重要な要素として、仕事そのものの意味や面白さがある。仕事を通して社会のため、人のために貢献することが自己実現や生き甲斐につながるのである。また、挑戦的な仕事や自律性の高い働き方は、それ自体が楽しさや面白さという無形の報酬をもたらす。・・・
 企業組織の場合にも、ベンチャー企業のように小規模で革新的な会社のなかには、遠隔地のパートナーと協働するケース、それに物理的な施設をもたず仮想空間上に存在する組織が見られるようになってきた。バーチャル・カンパニー、あるいはバーチャル・コーポレーションと呼ばれる組織である。」(太田肇 前掲書)

 現代の教育をめぐる「環境」も複雑で不安定であることは論を待たない。新しい経営学の動向を参考にするなら、学校が環境の変化に的確に対応していくためには、現場を直接担う担当者としての教職員が具体的な場面で自ら判断できるということがますます有効性をもつようになるということだ。「ピラミッド型の組織の導入」は、従来の教育現場のもっていた良い特性をみすみす破壊してしまう危険がある。
 私たちは、「グループリーダー制」の導入が学校の中に「組織の論理」を優先させるような風潮が醸成されないようとりくむべきだ。変化の激しい現代の教育課題に対応していくためには、子どもや保護者の声に真摯に耳を傾けることが重要であることは言うまでもない。「組織で決定されたから」という理由で行動を決めてしまうような「組織人」が神奈川の教育界を支配するようになったとしたら、深刻な事態を招来することになる。組織内の不正を知りつつ上司の命令に忠実に従い、大事故や企業の存在を危うくするほどの不祥事を招いてしまった事例を、私たちはここ数年いやというほど耳にしてきている。

■あらためて学校運営組織の中心に職員会議の位置づけを!■

教育基本法第10条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を負って行われるべきものである。」のもっている意味について、ここで改めて考えるべきだ。
 かつての日本の軍国主義教育に対する痛切な反省の上につくられた教育基本法の精神は、下位法規としての学校教育法と一体のものとして現実的な有効性を獲得している。すなわち、学校教育法第28条第6項にいう「教諭は教育を司る」は、戦前の教育法規たる「国民学校令」第17条2項の「訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」の「学校長ノ命ヲ承ケ」の部分を削除して成立している。
 つまり、「教師の教育実践の自由」は、学校の外部からの「不当な支配」だけでなく、学校の内部に存在する校長を始めとする管理職からの「不当な支配」からも免れる性質を持たねばならない、ということである。教育行政の権力的な支配は「外部から」というよりむしろ「内部から」のプレッシャーとして存在することについては、戦後の教育法規の立法過程で十分に共有されていた認識である。
 これからの学校現場における「組織論」もこうした原則に立ち返って考える必要がある。私たちが教育に関して「国民に対して直接責任を負う」ためには、自らの職務に関して主体的に決定に関与していかなくてはならない。これは、学校運営においては全教職員参加の職員会議を中心とすることを意味する。
 高総検レポートNo.73「私たち教職員が『騒然たる教育論議』を!〜学校運営組織改変を危懼する〜」(05年5月18日)に示したように、 職員会議には、「校長の職務の円滑な執行を補助するため職員会議を置く」(管理運営規則第22の2)との規定があるものの、「協調体制」「協業のシステム」「職員の建設的な意見」を保障した運用規定も存在している。「学校評価システムの手引き」や「『人事評価』行動例(校長)/学校運営・実績」などとあいまって、職員会議での自由な論議は阻害されていない。
 「企画会議」などの学校運営組織の改変に対して、私たちは職員会議を学校運営組織の中に明確に位置づけ、形骸化させないたたかいを積み重ねていくことが重要である。
 教育基本法改悪の国会提起を眼前に迎えている今、「民主的な職場づくり」の運動がもつ意味は従来に増して切実なものとなっている。「教師の教育実践の自由」は、教育の権力的な統制に抗してたたかうために、私たちの武器として与えられたものである。これなくして「子どもの学習権」や「国民の教育権」の実現はない。私たちは眼前の教育課題を再認識し、今改めて目の前にいる生徒の「成長・発達の権利」に目を向けるべきだ。

■提言!■

以上の見地に立ち、分会のとりくみとして、高総検は以下を提言する。

1.「グループリーダー」と他の教職員との関係性を、実質的に、従来の  互選による「主任」と同様に位置付けることを徹底する。

神教協はこれまでの交渉の中で、県当局から、「グループリーダー」は「職務命令権」や「服務監督権」を持たないという文言を引き出している。
 「グループが分担する校務の統括」という職務に含まれる「所轄するグループの教諭等に対する指示・指導・助言及び連絡調整等」については、「指導・助言及び連絡調整」は学校教育法施行規則に位置付けられている「主任」の職務と同等であり、「指示」は「グループ員に対する職務上の役割分担や進行管理の中での督促など」を意味する。「職務命令権」「服務監督権」を持たないことから、「グループリーダー」の「指示・指導・助言」に法的拘束力はなく、「グループリーダー」はグループ員が業務上の事故(事件)を起こした場合に責任(処分)を問われることはない。つまり、現場において、他の教職員との関係性は従来の「主任」と変わらない。
 分会においては、「グループリーダー」のその立場を徹底し、実質的に「中間管理職」として機能させないとりくみをおこなう必要がある。

2.学校運営組織の見直しに際しては、現行維持を原則として、多忙化解  消の観点からのみ検証する。

県教委は、神教協との交渉の中で、「グループリーダー制」の導入を契機とした学校運営組織の再編成を提起しており、次の6つのカテゴリーを示している。

a.教育計画その他の業務、授業等の研究、地域との連携等に関する事項。
b.生徒指導、職業選択の指導その他の進路指導、教育相談・健康等に関する事項。
c.情報管理その他の総務、行事及び研修の企画及び調整に関する事項。
d.学年の教育活動に関する事項。
e.専門教育を主とする学科の教育活動に関する事項。
f.農業に関する実習及び実習施設の運営に関する事項。

一目瞭然であるが、このカテゴリーのままに分掌・委員会等の統廃合をおこなえば、学校は機能しなくなる。例えば、b.は、生徒支援のカテゴリーであるが、18クラス規模以上の学校で、従来の生徒指導・生徒会・進路・保健を同一の分掌でおこなうことに現実性はない。また、環境整備を担当するカテゴリーが不明確であり、事務・現業と教員との連携が分断されて、生徒に不利益が生じる危険性がある。
 現場が違えばその現場の数だけ、様々な状況が展開している。今ある学校運営組織構造は各校の歴史的発展の中で、それぞれの固有な状況に対応する必要から設置されてきたものであり、県下一律の組織構造などはあり得ない。
 言うまでもないことであるが、学校運営組織の検証は、機能していない委員会等の整理や、定数減に応じた、また、渉外他の新たな業務に対応した分掌再編成など、多忙化解消を観点としておこなわれるべきであって、「グループリーダー」の配置数に合わせて実施されるべきものではない。従来の分掌・学年組織にしても、学校教育法施行規則に基づいた主任手当支給対象者(教務・学年・生徒指導・進路指導・保健)に合わせて設置されてきたわけではない。
 県教委は、神教協との交渉の中で、「総括教諭(新しい職)以外の教諭等を、グループリーダーの職務を補佐するために実務をおこなう者として校長が指定することを妨げるものではない。」としている。また、「校長が必要と認める場合には、総括教諭(新しい職)は、グループが所掌する校務のうちで特に複雑困難な特定の校務又はその他重要な職務を掌理できる。」ともしている。
 「実務担当者」は互選が可能である。分会においては、現場の状況に適合した学校運営組織を構成し、「実務担当者」を配置して、「グループリーダー制」を形骸化するとりくみをおこなうべきである。実質的に「総括教諭(新しい職)」=「グループリーダー」と位置付けないとりくみは、以下の4.5.の提言との関連においても重要である。

3.学校運営組織の見直しに際しては、民主的職場づくりに必要な委員会  (校内人事権・校内予算権を担うもの等)については、実質的に、独  立機関として設置する。

一部において、すでに学校運営組織の改変が管理職主導で実施され、その結果、校内人事や校内予算の配分などが管理職の独断でおこなれる状況がもたらされていると聞く。
 委員会組織は、主任制闘争の過程において、「主任」の権限を分散させるために設置されてきた経緯を持つ。職員会議とともに民主的職場づくりのための重要な〈装置〉である。分会においては、学校運営組織の検証にあたって、多忙化解消から機能していない委員会等の整理をおこなうにしても、この観点を重視するべきである。
 県教委は、神教協との交渉の中で、「当該学校の特色、個性その他の実情を踏まえ、当該区分(先述のカテゴリー)以外のグループ編成をおこなうことができる。」と言明している。県教委は、事故防止委員会などの必置委員会をカテゴリーの外に置く指示をおこなうことが予想されるため、その整合性からも、各校独自の委員会を、「実務担当者」を配して、実質的な独立機関として設置することを追求できる。特に、校内人事権や校内予算権を担う委員会組織は、職場民主化にとって極めて重要であり、県教委提起のカテゴリーに従属させず、独立した機関と設置するとりくみをおこなう必要がある。
 また、評価運営会議、カリキュラム委員会、将来構想委員会、総合学習等の検討推進委員会、学校評議員会事務局などを分掌外に設置している場合は、「企画会議」との関連を検討する必要がある。
 民主的職場づくりの観点から「実務担当者」を配置するとりくみは、以下の4.5.の提言との関連においても重要である。

4.「企画会議」については、
a 「校長決定の補佐」の機関であり決定機関ではないこと
b aの観点から、恣意的に報告・協議事項を取捨選択させないこと
c aの観点から、会議内容の公開をさせること
d 以上を保障するための、「総括教諭(新しい職)」任用組合員のとりくみ、及び、2.3.と連動した「総括教諭(新しい職)」以外の組合員の「企画会議」参画のとりくみを徹底する。

県教委は、「総括教諭(新しい職)」を構成員とした「企画会議」(名称は各校独自)の設置を管理運営規則に位置付けることを企図している。「企画会議」は、校長がつかさどる校務の円滑な執行を補助するために、校長が招集・主宰する会議であり、@校長の学校運営に関する方針の決定の補佐、A校務に関する企画及び調整、をその職務とする。「企画会議」が字義通りに機能すれば、「枢密院」を配した校長の独断的学校運営を許容することとなる。校長と県教委、県教委と県議会の関係性、また、昨今の政治情勢を鑑みる時、それが、単なるワンマン経営の許容のみを意味するものではないことは明白である。
 一部において、すでに「校務連絡会」「主任会」に相当する校内機関が設置され、職員会議に出される議案が恣意的に取捨選択されたり、変更しがたい決定済の装いをもって諮られるようになっており、職員会議がほとんどの教職員にとって単なる校長決定方針通達の場へ変質して、その存在意義が感じられなっている、と聞く。この状況では、職員会議は、県教委が規定する「学校全体として共通理解を深める場」としての機能も喪失をする。
 分会においては、民主的職場づくりに関して、「企画会議」に対するとりくみを最重点に展開しなくてはならないと考える。
 県教委は、神教協との交渉の中で、「企画会議が設置されることにより、職員会議の位置づけが変わるものではない。」と言明している。
 先述のように、管理運営規則運用規定等により、「協調体制」「協業のシステム」「職員の建設的な意見」が保障されており、校長は、それを踏まえた上で、学校運営の方針決定をなさなくてはならない。校長が共通理解を得ずして独断をなすことは、管理職としての資質に関わる行動となる。「企画会議」は、「校長の学校運営に関する方針の決定の補佐」の機関であり、「学校運営に関する方針の決定」の機関ではない。「企画会議」が、職員会議に出される議案の恣意的な取捨選択をおこなうこと、また、職員会議で変更不能の一方的通達をなすことは、「学校運営に関する方針の決定」の機関として機能することであり、管理運営規則上からも許されることではない。まず、そのことを明確に位置付ける必要がある。
 県教委は、神教協との交渉の中で、「校務に関する企画及び調整」の「調整」について、「グループリーダーは、各グループの実情を反映し意見を述べる。」「企画会議での検討前に、グループ内での調整等をおこない、企画会議に諮る。」と述べている。また、「企画」については、「学校運営の重要事項」とし、その具体的内容を「学校目標・研究指定・キャリア教育の推進・総合学習などのカリキュラムの基本方針・学校評議員からの要望事項など」としている。さらに、これらに対して、「企画会議で検討された内容のうち、学校運営上校長が必要と認めるものについては、職員会議での意見徴収等をおこない、学校全体として共通理解を深めることはこれまでと同様である。」「学校運営上の重要事項は学校全体としての観点から検討・立案するのは当然である。」との見解を示している。
 これらの見解を踏まえて、「調整」ついては、職員会議の効率的運営のための措置に止め、「企画」については、協議事項として職員会議に提案させることを位置付けるとりくみが重要である。
 「学校運営上校長が必要と認め」ず、職員会議に付されない事項に関しては、「企画会議」の会議内容の公開を位置付けるべきである。県教委は、「実施に至るまでの準備等について、全職員での対応が必要でないものについては、企画会議で検討後、即座に実施に移すことができる。」としており、その具体例として、「外部講師の招聘等についての人選・日程調整等、周辺自治会や福祉施設からの協力要請に対しての参加、高大連携やインターンシップ等児童生徒に有意義な活動と判断できるもの」などを示している。同時に、「企画会議での検討で実施した活動等については、職員会議で報告し、周知することは当然必要である。」と言明している。この言明を足がかりにして、「調整」の内容も含め、「企画会議」の会議内容について、「学校全体としての共通理解」「学校全体としての観点からの検討・立案」という点から、検証をおこなう必要がある。
 「企画会議」を「枢密院」として機能させない運動には、「総括教諭(新しい職)」任用組合員のとりくみが必要なことは勿論だが、提言2.3.と連動して、「実務担当者」である「総括教諭(新しい職)」以外の組合員が、「企画会議」に参画することが重要である。
 県教委は、「校長は、企画会議の構成員以外にも、議事内容に関係のある職員を会議に参加させることができる」と述べている。「総括教諭(新しい職)」の標準配置数は、小学校4人(想定標準規模/一般教員22人)、中学校5人(想定標準規模/一般教員25人)と検討されているが、高校においては教員数が多いため、標準数を6人として各校の実情から設定するものと想定される。
 提言2.3.が実現すれば、「総括教諭(新しい職)」=「グループリーダー」が、「各グループの実情を反映し意見を述べる」ことが必ずしも可能とは限らなくなり、実質的な実情把握は「実務担当者」が担うこととなる。また、「企画会議」の職務とされている「校務に関する企画」も、評価運営会議、カリキュラム委員会、将来構想委員会、総合学習等の検討推進委員会、学校評議員会事務局などの職務を少人数で担うことを意味しており、実現性に乏しい。現場の状況に適合した学校運営組織を構成し、それぞれに「実務担当者」を配置することによって、「議事内容に関係のある職員」として多くの組合員が「企画会議」に参画することが可能となる。

5.「総括教諭(新しい職)」任用の民主化を保障する学校運営組織をつくる。

「総括教諭(新しい職)」は、神教協が、賃金カーブ保障の面からアプローチしてきた課題であり、大多数の組合員が昇格しなければ意味がない。その実現は、同時に、グループリーダー制」「企画会議」の形骸化を意味する。
 教職員間の賃金差別を抑える点から、また、民主的職場づくりの点から、「総括教諭(新しい職)」の任用に職種・教科等の差別があってはならない。神教協と県教委との交渉において、具体的任用方法はまだ整理されておらず、校長推薦の妥当性、人事評価制度の検証、実習教員にかかる問題など課題は大きい。が、特命、マスターティーチャー、サブリーダーなどの「グループリーダー」以外の「総括教諭(新しい職)」ポストについて既に協議されている。
 分会においては、提言2.3.における民主的職場づくりと連動して、「総括教諭(新しい職)」を排出しやすい環境を整えていくことが必要と考える。

 神教協と県教委との交渉内容は、賃金カーブ保障にかかる県人事院との関係から、その全てが管理運営規則や運用規定に書き込まれるわけではない。規則・規定に反映されない内容については、管理職向けの「Q&A」に位置付けられる。これは、分会の運動なくして、学校運営組織のピラミッド型組織への改変を阻止できないことを意味する。
 高総検は、各職場で分会の全組合員があらゆる場面あらゆる機会を捉えて、あらためて民主的職場づくりのとりくみをおこなうべきことを、提言する。



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