高総検レポート No 57

2001年12月4日発行

検証「求められる教員像」(教育制度グループ2)

期待される《教員》像/行政の要求する教員資質

 
1.「できる」教員に特別待遇!
 01年10月17日、教育職員人事制度研究会(外部学識経験者による)は、9月にまとめた最終報告『教職員の人事評価のあり方について・人材育成及び能力開発を目指して』(以下、『報告』)を公表し、県教委は、10月23日にその全文を県教委HPにUPしている。『報告』には、「教職員には競争的評価はなじまない」「評価結果の賃金への反映には反対である」など、意見書・意見陳述で私たちが主張してきたことは全く反映されていない。県教委は、すでにこの『報告』以前の01年5月に、行政レベルの教職員人事制度検討会を立ち上げており、「新勤評」が一方的に導入されることが懸念される。
 東京に始まったこの動向は、埼玉・高知・香川などでも生じている。また、01年6月の地教行法改変に伴う「指導力不足教員」への対応が全国各教委で行われ始めており、それと呼応するように、都立高進学指導重点校への指導力に優れた教員の配置〔東京〕、学力低下対策・児童問題行動への対処のための指導力のある中学校教員の地元小学校への異動や兼務〔大阪〕といった、「有指導力教員」活用の動きも出始めている。さらに、教員の指導監督などにあたる教頭に次ぐ職階、主幹職の設置〔東京〕など、主任制実働化(校内中間管理職設置)も現実のものとなりつつある。(各教組HP、01/10/25『朝日』夕刊等新聞社報道による)
 
2.「学校の常識は世間の非常識」?
 こうした教員の分断階層化の動きは、教員不祥事に関するマスコミの大量報道から、教員資質が社会的に注視されるようになったことを契機とする。『報告』では、学校の閉鎖性が、教員の資質向上を阻害していると分析する。

第2章 教職員に関する新たな人事評価システム策定の必要性 
2 教職員に関する新たな人事評価システム策定の必要性
(1)学校現場の状況と求められる教員像

 教員の活動は、相互の干渉せず、前例踏襲的・画一的になりがちであるといわれ、また、社会の変化に対応できない学校の閉鎖性も指摘されているところであり、「学校の常識は世間の非常識」と批判されるような状況があることも否定できない。いわゆる「学級崩壊」などの教育課題に対しても、校内での協力体制がとられなかったり、地域や関連機関など外部との連携が乏しい場合には、深刻な事態からの回復が困難であるといわれている。
 また、管理職である校長、教頭以外は職員の大多数が同じ「教諭」職にある単層型のいわゆる「なべぶた型」組織といわれる学校では、教員間に均質的な横並びの意識が依然として強く、社会の変化に即応した意識改革がなされず、教育改革への組織的取り組みも滞りがちで、学校の活性化が進まない面がある。

 現場は、それほど協力体制に乏しいのだろうか?が、「学校の閉鎖性」に対する社会的批判には否定できない側面があり、外部連携が促進されなければならないことは事実である。しかし、それと「『なべぶた型』組織」を同列に断じて、協力体制・組織的取り組みの阻害要因とする『報告』の分析は、現場の実態からすれば、奇異である。
 そもそも、行政が求める教員資質とはどういうものであるのか。近年の国・県の報告・通知などを跡づけてみると、異様な姿態が浮かび上がってくる。それは、私たちが取り組んでいる教育改革とは、全く無縁の姿である。
 
3.資質向上に研修はいらない!
 教員は、教育公務員特例法第19条・第20条により、研修が義務であり権利である。教員の質的向上は研修によってなされるのが本義である。しかし、行政は、第19条において研修の条件整備をなすことが義務づけられているにも関わらず、いわゆる「服務」によって、第20条における研修の機会を大幅に阻害しているのが現状である。
 県立高校改革の基本理念と位置づけられる、県立高校将来構想検討協議会答申『これからの高校教育のあり方』〔98/9/21〕(以下『構想検答申』)にも、「教職員の研修の充実」が「教職員の資質向上」の項〔W将来構想の推進に当たって・2行政に期待するもの〕に明示されている。が、この項は、教員社会の閉鎖性への対処として「民間企業や社会福祉施設への派遣体験研修」について強調して述べられたものであり、『報告』と同じ文脈にある。
 翌年の県教委『活力と魅力ある県立高校を目指して・県立高校改革推進計画』〔99/8/16〕の「教職員の資質向上」の項(第7章改革推進のための条件整備等・1教職員の資質向上及び計画的配置)には、「主体的な学校づくりに資する研修」とともに「教職員の職務に対する評価のあり方等」の検討が盛り込まれ、『報告』に直結をしている。
 『報告』は、教員の人材育成・能力開発は人事評価に拠る他はないというスタンスに貫かれている。この文脈を律しているものは何か。
 
4.評価は競争のため
 図らずも、『構想検答申』と同年同日に公表された旧中教審(16期)答申『今後における地方教育行政のあり方』(以下『16期中教審答申』)は、閉鎖性への対処がどこへ向かうものであるかを明らかにし始めている。そこでは、研修の見直しが提言され、管理職に対しては「企業経営や組織体における経営者に求められる専門知識や教養」「総合的なマネジメント能力」の養成の観点から、また、教職員(「中堅教員」)に対しては、管理職人材育成のために、「社会教育施設等での勤務体験や長期社会体験研修の充実」とともに、管理職研修と同様の見直しが述べられている。(第3章学校の自主性自律性の確立について・1校長教頭への適材の確保と教職員の資質向上・校長教頭の選考と人事の在り方等の見直し)
 経営能力を求めることの意味は、翌年、首相の私的諮問機関である経済戦略会議の『答申』〔99/2/26〕で明確にされる。それは、「教師間、学校間に適切な競争原理を導入して、それぞれが創意工夫を競いあう環境を作ることが必要である。」と断言し、義務教育への複数校選択制導入を進言している。
 学校間競争やその推力としての教員間競争は、財界の意向であり、私たちの取り組む教育改革ではない。しかし、やはり首相私的諮問機関である教育改革国民会議の『中間報告』〔00/9/22〕に至って、改革にむりやり注入されることとなる。評価は、ここから現れる。

1. いまなぜ教育改革か
教育は社会サービスであり経済活動とは自ずと異なる面を持っている。しかし、教育行政や教育機関の情報を開示し、適切な評価を行うことで健全な競い合いを促進することが、教育システムの変革にとって不可欠である。学校は学ぶための場であり、その本来の機能を果たすようにしなければならない。教育機関はぬるま湯につかっていてはならない。親は子どもの学校が安心して通わせられる良い学校であって欲しいと願っている。学校に刺激を与え、それぞれの学校が不断に良くなる努力をし、成果が上がっているものは相応に評価されるようにしなければならない。

 『教育改革国民会議報告』〔00/12/22〕(以下『国民会議報告』)には、「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくるという項が盛り込まれ、評価による教員間競争が各県に浸透を始めている。
 また、00年4月の学校教育法施行規則改変によって、教員資格のない民間からの管理職登用が可能となり、学校間競争のために、企業的経営能力の学校への直接投入が行われ始めている。広島、埼玉、大阪などに続き、神奈川でも、小森教育長は、県議会本会議〔01/6/22〕において、「新タイプ校のうち総合学科高校や総合産業高校の校長に、民間人を早ければ新校の準備段階の2002年度中に当面は2名採用する。」と答弁している。
 
5.あなたも指導力不足教員【等】に
 教員不祥事の大量報道は、直接的には、不適格教員の排除を導き出した。不適格教員とは、「子どもとの信頼関係を築くことができないなど教員として適格性を欠く者や精神上の疾患等により教壇に立つことがふさわしくない者」(第3章学校の自主性自律性の確立について・1校長教頭への適材の確保と教職員の資質向上・適格性を欠く教員等への対応)であると、『16期中教審答申』は記している。改変地教行法第47条の2では、「児童又は生徒に対する指導が不適切である」者、「研修等必要な措置が講じられたとしてもなお児童又は生徒に対する指導を適切に行うことができないと認められる」者を、教職から追放されるべき指導力不足教員と規定する。
 しかし、教員の適格性や指導力とは何かについて、公的な論議がどこまでなされたのであろうか。県教委は、00年9月18日に『指導力不足教員等への指導の手引き』を県立学校長・市町村教育委員会に通知しており、指導力不足教員に「等」を付して、例を掲げている。

T 指導力不足教員等に対する教育委員会の指導指針  
1 指導力不足教員等とは (指導力不足教員等の例)

授業が成立しない
  • 無計画な授業で、授業展開の意図が分からない。
  • 生徒を無視した自己中心的な授業を行う。
  • 教材研究を行わないなど、授業に対する意欲がない。
  • 生徒や保護者から授業に対する苦情が多い。
生徒指導が適切に行えない
  • 生徒とのコミュニケーションが取れない。
  • 保護者と生徒指導上のトラブルを起こし、信頼を失っている。
  • 生徒の意見を聞かず、一方的な指導しかできない。
教員としての資質に問題がある
  • 服務規律が乱れている。
  • 私生活が乱れ、勤務に影響している。
  • 協調性に欠け、他の職員と頻繁にトラブルを起こす。
  • 上司の指示や指導を無視し、勝手な行動をとる。
  • 生徒に対してセクハラまがいの言動を繰り返す。
  • 体罰を繰り返している。

 管理職は、「他の教員からの報告」「生徒や保護者からの苦情」「教育委員会や知事等に対する苦情や投書」を把握の端緒とし、指導観察記録を作成することとされている。が、「分限処分等の人事上の措置」にまで言及された指針の元となるこれらの例示は、どこまで客観的相対的に把握し得るものだろうか。適格性や指導力の概念が明確でない以上、恣意的な運用が可能である。殊に、「等」とは何を意味する語であろうか。疑えば、「服務規律が乱れている。」「上司の指示や指導を無視し、勝手な行動をとる。」という例示を根拠として、組合活動の抑圧に運用される可能性もあるのではないか。
 
6.教員免許更新制からリストラへ
 社会的な教員資質注視の動向は、教員免許更新制導入に関する文部科学大臣の新中教審(1期)諮問〔01/4/12・総会第4回〕に発展をする。諮問は、今後の教員免許制度の在り方に関わるもので、教員免許更新制とともに、特別免許状制の活用の促進(「教科に関する優れた意識・技能を有する社会人」の登用)などにも行われている。
 新中教審諮問は、『国民会議報告』を受けたもので、その提言と呼応している。『国民会議報告』には、「常勤、任期付教員、社会人教員など雇用形態を多様化する。教師の採用方法については、入口を多様にし、採用後の勤務状況などの評価を重視する。免許更新制の可能性を検討する。」(2.新しい時代に新しい学校づくりを・教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる・提言(5))と記されている。つまり、教員免許更新制は、雇用形態多様化と一連のものであり、新中教審諮問におけるその具体化が、特別免許状制活用の促進である。
 新中教審総会第5回 〔01/5/9〕の「今後の教員免許制度の在り方について自由討議」では、教員免許更新制に関連して、次のような発言がなされている。

 公立学校教員の受験者数が12年度が14万7,000人で,採用された方が1万1,000人で13.3倍なのだという現実を知って,本当にこんな厳しい状況だったのだということで,本当にびっくりしました。それだけ上が詰まっているということなのですね。そういった意味でも,ほかの委員がおっしゃるように,私は終身雇用という形に問題があると思います。企業でしたら成績が上がらなかったらすぐにリストラという方向にいってしまう厳しい状況の中で,ちょっと生ぬるいかなということを,実際このデータで知りました。

 我々民間の企業で生活している人間からすると,教育公務員というもののビジョンといいますか,一旦先生になってしまえば終身雇用が確保されるような余りにも甘いシステムの中にあるということに対して,現場にいるいろいろな方と議論したことがありますけれども,大問題だと思います。やはり厳しい競争主義といいますか,先生になってから5年目ぐらいに,果たして教員として本当に適切な問題意識があるのかどうかという,5年目ぐらいのところでの区切りと,その後,10年ぐらいたったところで,教員免許をきちんと更新する仕組みをつくらなければだめだと思います。

 やはり終身雇用には非常に問題があると思います。教員の役割や責任の重さを考えてみましたときに,大学の現場で,あるいは学校の教員の現場を見ていますと,誠に残念ながら人間的な成長が見られない教員,ぬるま湯につかった教員がいるのは事実です。そういう教員の下で子どもたちや生徒たちが非常に苦しんでいるのも事実だと思います。90%の教員が問題なくても,10%に問題がある。そこに対してはきちんとした対応をとっていかなければいけないのではないかと思います。

 例えば、運転免許証であれば、その取消し・停止に際しての欠格要件が道路交通法に客観的に定められている。しかし、この自由討論で論じられている教員免許の適格要件、つまり、教員資質は、「問題解決型の資質」という発言に若干の客観性が認められる他は、「尊敬の対象」「好かれるということと、尊敬されるという条件を同時に満たす」「教養をつけた、研修をした、そのことが子どもの指導にどのように生かされるか」など、いかにフリートーキングとはいえ、曖昧なものしかない。これらの発言が新中教審答申に反映され、主観的な判断によって終身雇用が打ち切られるようになるのではたまったものではない。
 先に、財界の意向が教育改革にむりやり注入されたと記した。教員免許更新制導入の検討にも、それが反映されているのではないか。
 「これからの成熟社会に当たって大企業のイメージは、一握りのブリリアントな参謀本部、マネージメントのプロ、大量のスペシャリスト集団、それ以外はロボットと末端の労働力である。」(経済同友会教育委員長桜井修『これからの大学教育への期待』「教育学術新聞」95/8)というとらえ方が、財界のバブル崩壊後の産業構造改革に対する考えである。これをそのまま公教育に当てはめ、「スペシャリスト集団」と「末端の労働力」との整理に、あるいは、「末端の労働力」からの切り捨てに、教員免許更新制や特別免許状制をシフトさせようとしている。『教育改革国民会議中間報告』にある通り、教育は「経済活動とは自ずと異なる面」を持つ。そこに、行政が恣意的に企業経営の論理を押し込むには、教育の論理についての討議は邪魔である。教員資質の概念を不明確にしたままの、指導力不足教員等の規定や教員免許更新制の検討は、そのためなのではないかと疑念を持つ。
*中教審教員養成部会は、懲戒免職・分限免職の際の免許剥奪と能力別研修を提言するもよう(01/10/31『朝日』)*
 
7.教養審と新中教審
 文科省での教員資質についての審議は、教員養成に関する教育職員養成審議会で行われ、97年7月に、第1次答申『新たな時代に向けた教員養成の改善方策について』、98年10月に、第2次答申『修士課程を積極的に活用した教員養成の在り方について〜現職教員の再教育の推進〜』、99年12月に、第3次答申『養成と採用・研修と連携の円滑化について』を出して、解散をしている。
 その第1次答申の教員資質についての内容をまとめると、以下のようになる。

■いつの時代も求められる資質能力
(旧教養審答申『教員の資質能力の向上方策等について』〔87/12/18〕から引用)
専門的職業である『教職』に対する愛着、誇り、一体感に支えられた知識、技能の総体

■今後に教員に求められる具体的資質能力
子どもたちに『生きる力』を育む教育を授ける
1.地球的視野に立って行動するための資質能力  
・地球、国家、人間等に対する適切な理解
・豊かな人間性
・国際社会で必要とされる基本的資質能力
2.変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力
・課題解決能力等に関わるもの
・人間関係に関わるもの
・社会の変化に適応するための知識及び技能
3.教員の職務から必然的に求められる資質能力
・幼児、児童、生徒や教育の在り方に関する適切な理解
・教職に対する愛着、誇り、一体感
・教科指導、生徒指導のための知識、技能及び態度

■得意分野を持つ個性豊かな教員の必要性
「学校では、多様な資質能力を持つ個性豊かな人材によって構成される教員集団が連携・協働することにより、学校という組織全体として充実した教育活動を展開すべきものと考える。」
「専門家による日常的な指導・助言・援助の体制整備や学校と専門機関との連携の確保などを今後さらに積極的に勧める必要がある。」
「画一的な教員像を求めることは避け、生涯にわたり資質向上を図るという前提に立って、全教員に共通に求められる基礎的・基本的な資質能力を確保するとともに、さらに各人の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが大切である。」

 第2次答申は、「生涯にわたり資質向上を図る」ための、大学院利用の方策検討であり、教員への専門性の要求として、第1次答申と整合している。
 しかし、経済同友会「学区選択幅拡大」「学校から合校へ」〔95/4〕、経団連「創造的な人材の育成のため特色ある学校・多様な選択」〔96/3〕等、『経済戦略会議答申』に至る財界からの教育に対する発言を経た、第3次答申には、第1次・第2次答申と矛盾する内容が混入してくる。
 第1に、「教員の各ライフステージに応じて求められる資質能力」(初任者の段階・中堅教員の段階・管理職の段階)が提示され、マネジメント能力が強調されている。これは、階層的画一的な教員像を求めることであり、第1次答申の「画一的な教員像」を避けることと矛盾をする。
 また、「勤務成績の評価について、評価の内容・方法・手続き等の評価システムを研究することが必要」と提言しているが、そのことと第1次答申の「多様な資質能力を持つ個性豊かな人材」を求めることとの整合には、何も言及されていない。
 第2に、教員の分限処分等の状況に触れて、条件附き採用制度での降任・免職・休職・降給が、「一般の職員と異なり、法律に定める理由によらずその意に反して」行うことが可能であることを強調している。切り捨ての視点が持ち込まれているのであり、これは、教育職員養成のための諮問機関としての性格と根本的に矛盾をする。
 第3に、教職経験・民間企業等の勤務経験者採用枠設定を勧め、一般の学力試験を課さず、教職経験の実績・民間企業等での勤務経験に基づいた専門的能力・識見を適切に評価して、新規学卒者とは別途の方法により選考を行うことを提言している。これは、第2次答申の教員への高度な専門性の要求と矛盾をする。先に記した、「産業構造改革」による雇用形態多様化への対応かと疑う。
 現在、教養審の機能は、新中教審が吸収をしているが、そこでの教員資質に関する議論の不毛さは、先に記した通りである。他は、教員階層化の促進 、教員免許更新審査(教員評価)方法などの討議がなされ、日教組批判と目される発言もある。教員免許更新制よりも研修が先行するという意見、教員免許更新制否定の意見、教員意見不在に対する批判の意見も若干あるが、事務局が「旧教育職員養成審議会はその機能がこの新しい中教審に吸収された」と明言していながらも、自由討議に教養審答申との関連は希薄である。
 
8.競争原理に晒される教育現場
 以上の跡付けを総合してみると、異様な教員像が浮かび上がってくる。

 教員の適格性とは、「雇用形態を多様化」していく現場にあって、物言わぬ「末端の労働力」として大過なく過ごせることであり、さらには、「マネージメントのプロ」を目指す「スペシャリスト集団」の一員としての高い評価を得るように努力できることである。
 高い評価を得る教員とは、「企業経営や組織体における経営者に求められる専門知識や教養」を持ち、「競い合い」に勝ち抜ける新たな学校作りに主体的に参画する者、つまり、学校間生徒獲得競争における〈営業スタッフ〉である。

 こうした動向の最大の罪悪は、教育改革の芽を無惨にむしり取ってしまうことである。
 例えば、『報告』は、学校の閉鎖性が教員の資質向上を阻害しているとして人事評価導入を説く。が、上に記した教員資質は、開かれた学校を目指す改革に資するものだろうか。
 開かれた学校とは、市場原理・競争原理の導入を指すものではない。ましてや、公教育に財界の産業構造改革をむりやり当てはめるためのものではない。全日本中学校長会・全国高等学校校長会『日常の生徒指導の在り方に関する調査研究報告』〔86/3/20〕(臨時教育審議会『教育改革に関する第二次答申』〔86/4/23〕添付資料・文部省通知『校則見直し状況等の調査結果について』〔86/4/10〕別添報告)には、「(家庭や地域の)教育力の低下をいうことはたやすい。しかし、保護者にとって様々な教育上の問題について相談し、悩みを受け止めてくれる身近な場はやはり学校ではないか。そのためにも学校は、家庭や地域との信頼関係の確立に努め、開かれた学校づくりをめざすことが大切である。」とある。
 開かれた学校とは、こうした文脈に登場する言葉である。つまり、校内暴力・過度の校則規制の悪循環の時代に、その根本的な解決策として発想されたものであり、学校が中心となった教育コミュニティの形成を指す。
 学校間競争・教員間競争が、教育コミュニティの形成を跡形もなく破壊することは疑いない。